進化していく医療。そして救われる命。それでも助けられない命も多くある。どんなに最先端の医療を施しても。まるで予期していない出来事にさらされ命を落とす事がある。突然起こる事に対しては予測は出来ない。防ぎようのない事柄。それらに遭遇した人たちの一例をあげてみよう。とても悲しい出来事だった。
ある家族は3人暮らしで両親と高校生になる男の子が一人いた。頭がよく、この辺りでは有名な進学校に通っていた。いつものように朝起きてきて、両親に挨拶をし、鞄を持って玄関で「行ってきます。」と笑顔で出かけていった。どこにでもある普通の家庭の風景だ。しかし、突然の出来事がごく普通の家庭を襲った。
体育の授業の時いつも通りに参加した男の子だったが、急に倒れ心肺が停止した。どこが悪かったわけでもなく何か異常を訴えたわけでもなく、突然の事だった。すぐに救急搬送され2次蘇生を行ったが、息を吹き返すことなく時間が過ぎていった。両親はまるでいつものように出掛けて行った我が子の訃報を信じられず、そこにいた人々が彼の蘇生を待っていた。まだ若く蘇生する確率も高いと思っていたのも事実だろう。何よりもそこにいる医療従事者があまりにも若すぎる突然の彼の死を認められずにいた。誰もが涙ぐみ、心臓マッサージをしていた医師が何よりも彼の蘇生を必死で行っていた。それはその医師も同じ年の子供をもつ身であり、彼の倒れた姿を見て自分の子供と重ねて見たのだろう。普通ならもう蘇生の可能性が薄いと判断した時点で心臓マッサージは中止するが、諦めず行っていた。
結局のところ彼は蘇生しなかった。普通なら彼ほど若い17歳ぐらいの心臓なら強く心拍が再開されてもおかしくはなかったが彼の心臓は動く事はなかった。
こんな状況に立ち会った時こそ強くそして深く自分の無力さを呪うのだ。助けられなかった事に対する憤り。失った悲しみ。それらが今まで積んできた医療従事者としての全てを否定する。自分はなんて無力なのだろうと。人は助かった命より助けられなかった命の方が深く心に残り自分の不甲斐なさを知るのだ。